“ たとえば ” の検索結果

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ありがとう

2006年9月12日 00:34

 会えないことがつらいんじゃない。  ただ会えることが嬉しいんだ。  いろんなことがあたり前になってくると、それに対する感謝の気持ちってのが、それ以上のスピードで薄れていくような気がする。  ないのは困る。  だけど、あってあたり前。  空気に改めて感謝を示す人は少ないかもしれない。無意識のうちに、呼吸できてるってことで、それを感謝だとする人もいるかもしれない。  いや、これはちょっとたとえが間違ってるかも。  たとえば、“お昼のお弁当”とか。 「あ、そういえば、今日の弁当は?」 「ちょっと忙しくて作れなかったの」 「は? じゃあ、今日どうすんだよ」 「どうすんだよって……そんな、もともとあるものじゃないのよ」  たとえ話2 “約束のない約束”の巻。 「今からだいじょうぶ??」 「ああ、今日ちょっとムリ」 「えぇ~、マジ~??」 「マジ」 「約束はしてなかったけどさ、いっつも...

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2006年9月 4日 05:00

 やっぱ家族の絆ってやつに弱いらしい。  どうにもこうにも、こればっかりはダメらしい。  いつまで経っても免疫ができない。  涙腺がゆるみまくってる。  そのくせ、人の死だとか別れには、一切の涙が出てこない。こぼれもしない。浮かびもしない。  そのへんは、免疫の塊のようになってるみたいだ。  離れることには強いんだけど、結ばれることには弱いらしい。  取り戻すとか、手にするために一生懸命がんばるだとか。  どっちが難しいとか、奇跡とかっていうんじゃなくて、結ばれるのも離れていくのも難しい。  損得だとか難しさとかで物事判断しちゃったら、どう考えても大切なものが見えなくなる。  難しいほうに重きを置いてしまったら、人の出逢いなんて葉っぱ1枚より軽そうなもんだ。  たとえば、その葉っぱ1枚が落ちたことで、そこにいた虫はその夜をあったかく迎えられるかもしれない。  う~ん、このたと...

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原石から輝きへ、そして無邪気から純粋へ。

2006年9月 2日 00:34

 言葉の重みは変わらない。  誰に言われた言葉なのか??  そのとき、その前、自分はどんな気持ちだったか??  そこらへんにかかってくる。  それが言葉の重みになってみたりするんじゃないか……  突然、胸にグッとくる言葉が降りかかる。  それは全然、なんでもない言葉だったりする。  愛を叫ぶわけじゃなく、夢や希望を掲げて見せてくれるわけでもない。  でもなんでだ??  不意だったから??  わからない。  だからそのへんにかかってくるんだと思ってみたり……  言葉よりモノってこともある。 「お腹はすくかもしれないけど、あきらめないでがんばって生きてね」  そんなあしたの見えたような言葉より、たぶん金だ。米だ。たとえ賞味期限が切れていようが、コンビニのおにぎりだろう。  あすへとつながる励ましよりも、あしたも実際にそこにいれること。  普通に生活してれば、そんな特別っぽく見えて...

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戦争

2006年8月10日 02:41

 まるで意味がない。  宗教問題とか、人種問題とかで、いろんなところで、いろんな戦争が起こってる。  まるで目的もない。  もしあったとしても、それが達成されたこともない。  1つのそれがもし達成されたとしても、また別のそれが湧いて出てくる。  キリスト教の歴史とか聖書がどうのこうのとか、人種に関する歴史とか運動とかその背景とか、そういう深い部分については学校の田植え授業で習ったぐらいしか知らないけども、でもそれからなぜ殺し合うことになるのか、まるで理解できない。  お互いに、なぜ批判するの?  認められないのは、どうして?  全部は認められないかもしれないけど、尊重するぐらいはできそうなもんだ。  人間なんだから。  本能だけで生きてるんじゃない。頭で考えて、ワンクッション置いてから、行動に移すことができるはずだ。  単なる表現の問題っていうこともあると思う。 「唯一全能の...

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豊かな

2006年8月 1日 00:05

 どうも物質的に豊かになってくると、ヒトってやつは、それに完全に依存してしまうらしい…  昔は、手書きだったものが、今では「ペーパーレス」という時代に猛烈な勢いで突入してるみたいでね…  メールだと、味がなくなる。心なんてものは、これっぽっちも伝わってこない。  伝票なら、ただボタン1つで全部勝手にお得意先もそうでない荷主も全部打ち込んでくれる。  年賀状だって、全部同じ内容…ちょっと親しければ、あとから手書きで1行付け加えるぐらいなもの。  今、全部手書きで小説とかの読み物書いてる人なんていないんじゃないかと思う…     “執筆”  そんな言葉は、もう辞書から削除すべき言葉と言えるかもしれない。     “執打”  ただ、こだわりというか、頑固というか、偏屈というか、伝統や文化を重んじる頑なな人は今なお、いくら時間がかかろうが添削が大変だろうと、手書きを貫いてることだ...

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ながぁ~い眼

2006年7月15日 01:48

 また同じこと書きそうで怖いが…ご了承あられぇ~い!!  「貸し借り」  …これはかなりシビアな問題だな… 「たとえどんなに大切な恋人だろうと、なにがあっても“保証人”にだけはなるなよ」  これ、うちの父ちゃんのお言葉だ。  一理ある…たしかに、一理ある…  俺もそう思う。  俺はこう思ふ。 「本当に困ってる人がいたら、自分がそのときどんな状況だろうと、自分から手を差し伸べる人になれ」  カネを貸してくれ。  カネを借りてくれ。  全然違うな、この言いまわしだと…感じ方の問題だ。  カネの貸し借りが、やっぱり一番いい例になる。  まずは結論から出しておくと、こうだろうな… 【金額のデカさじゃない。精神的な重さだ】  たとえば、こんな2人の場合。  ある友達の男が100万円借りたとする。別にカネにそこまで困ってるわけじゃなく、ただ単に衝動買いするためだ。競馬するためのカネでもい...

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ピクルス

2006年7月 6日 11:23

 この1週間、まるでハンバーガーだけで過ごしたと言える。  朝:なし  昼:ハンバーガー3つ  夜:ハンバーガー2つ  飲み物は、いつもコーヒー牛乳である。やっぱり上手い…子供のころから、ずっとコーヒー牛乳に憧れておりまして…  コーヒー牛乳って、ちょっとリッチな気分になれる…冷蔵庫に牛乳の豊富に並べられた家が、一番の憧れでした…  なぜか…牛乳ってゴージャスな飲み物に…見える。  今ではテリヤキとかビッグとか、いろんな種類が出てきて、キャンペーンみたいのになれば月見とかも、さらに種類が増えてくる。  昔は…そう、まだ幼少のころは、俺もテリヤキとか、いや、ほぼテリヤキばっかり食べていた。  なんでだろう?  テリヤキとか、なんかああいう黒っぽくて脂のテラテラしたものに、ちょっと大人な雰囲気を感じていたのかもしれない。  でも家では、そういうハンバーガーとかは、食べさせてもらえ...

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Lumielina ~理毛~

2006年7月 4日 09:22

 “理毛ローション・シャンプー”  と、この商品、どうやら僕が通ってる美容室でもバカ売れらしい。  女性はもちろんのこと、男性にも大人気とのことだ。  ってことで、今日はそれについて書いてみようと思ふ。  それはなぜなら、僕が“理毛信者”だからである。もうこれ以外のシャンプーは使わない。いや、もう使えなくなってしまったのだ……  でも先に言っておきますが、すっげぇ~長いです。前代未聞です。ブログの域を超えてると思います。  それぐらい、この記事は長文です。  でも、本当に“理毛”に興味のある方は、この記事をかるくでも、何日かにわけてでも読んでおいて損はないと思われます。  【Lumielina】  ……とはいえ、それだけだ。いや、もうそれで充分。  それだけ書いとき...

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UNIQLO, シャンプー, リュミエリーナ, 理毛, 理毛信者, 美容室
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