“ カネ ” の検索結果

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  • 11 F/O ぐらいあったよ

必要よりも、不必要

2006年8月 5日 02:57

 俺は、努力ってのが嫌いだ。  むしろ、人聞きだけはものすごくいい努力なんて、ホントは必要ないと思う。  親とかは、勉強を努力だと勘違いしてるみたいだ。んでもって、勉強は学生の仕事だなんぞ、あまりにバカげた解釈だ。じゃあ学校行って勉強したら、小遣いぐらいくれてもいい。そして、勉強を努力と呼ばないで欲しい。  好きな教科だったりすれば、それは努力でもなんでもなく、限りなく【趣味】に近いと、俺は思う。  嫌いな教科を勉強するのは、それは単なる【強制】でしかないのだから…  俺は【倫理】という教科が好きだった。いっつもソレの資料集を読んでたような記憶しかない。  この上なく楽しかった。勉強なんていう感覚もなく、努力してるなんてことも感じたことはなかった。ただただその、昔のいろんな人の思想や哲学が楽しかっただけだった。  “あ、なんかおまえ、おれと似てんな”とか“あんた、すげぇな”と...

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ながぁ~い眼

2006年7月15日 01:48

 また同じこと書きそうで怖いが…ご了承あられぇ~い!!  「貸し借り」  …これはかなりシビアな問題だな… 「たとえどんなに大切な恋人だろうと、なにがあっても“保証人”にだけはなるなよ」  これ、うちの父ちゃんのお言葉だ。  一理ある…たしかに、一理ある…  俺もそう思う。  俺はこう思ふ。 「本当に困ってる人がいたら、自分がそのときどんな状況だろうと、自分から手を差し伸べる人になれ」  カネを貸してくれ。  カネを借りてくれ。  全然違うな、この言いまわしだと…感じ方の問題だ。  カネの貸し借りが、やっぱり一番いい例になる。  まずは結論から出しておくと、こうだろうな… 【金額のデカさじゃない。精神的な重さだ】  たとえば、こんな2人の場合。  ある友達の男が100万円借りたとする。別にカネにそこまで困ってるわけじゃなく、ただ単に衝動買いするためだ。競馬するためのカネでもい...

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こども

2006年7月 4日 18:56

 歴史を学ぶ必要は、もうなくなった…  親の世代で規範となっていた人でも、もう今じゃ、ただのヒトなんですよね。  実際。 「お父さんが子供のころとは、もう時代が違うんだよ!?」  って、親に子供が言う。  本当なんだからしょうがないんです。違うんじゃなくて、もう“通用しない”んです。  すると… 「親に向かってなんだその口のきき方は!?」  違うんですよね。  もう自分が育ってきた過去は捨てるべきだと思います。  「俺が子供だったころは…」って、これが口グセになっちゃってるお父さん、それはもう今の子供には通用しないんです。「また始まったよ」ぐらいにしか聞いてないはず。  もうどうしょもない親になってくると、これしか言わない。 「だれのおかげでそこまで大きくなれたと思ってんだ!?」  子供はこうひと言吐き捨ててやればいい。 「カネ」  すると、きっとこう返ってくる。 「じゃあ、...

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My Stage

2006年7月 1日 00:57

 目の前に、紙とペンがある…  どうしようか…じゃあ、とりあえず…  その紙の中心にペンを突き刺して、そこにペンよりほんのちょっぴり大きな穴をあけてみた…  なんだ、そりゃ?  紙とペンがあったら、なんか書いてみようよ…先生が言った。 「いいじゃん別にさ…なんか書くかわりに、こんだけ分の穴あけたかったってだけじゃん? どう使おうと俺の勝手でしょ?」 「屁理屈だ」 「ああ、それでけっこうだ」  ひねてくれてる…ヘソ曲がりたぁ~、こいつのことだ!!  人は言う。 【ひねくれ者は、絶対根性も曲がってる】  そしてさらに言う。 【その曲がった根性、俺がたたきなおしてやる!!】  ありがた迷惑だ。  人は俺を【変わり者】と呼ぶ。  【ヘン】とか【おかしい】という言葉も使われる。  でも俺はそのへんのことはわからない。自分はあくまで自分であって、他人に評価された自分っていうわけじゃない。...

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自分のためにだけ

2006年6月16日 23:37

 でもやっぱり違ったみたいだ…  自分のためにこうやって毎日まいにち飽きもせず書きつづけてたのは、それは確かだ。  だけど、それだけじゃない。自分に向けてだけじゃなく、人に伝えたいことがあるから、こうやって書いてる。  それに気づいた。  自分のためだけに書くのなんて、やっぱり書いててつまらないし、息が詰まる。だからこうやって、たいしてわかりもしないホームページってやつを作ってそこに書いてってるわけだ。  見てほしい、わかってほしい、伝えたい、伝わってほしい、そう願うから、こうやって書いてるんだと思う。  “自分のためにだけ”?  今日はその文句がおかしかった。けっこう文句の垂れ流しは多いけど、ちょっと笑えた文句はこれぐらいだと思う。  まあ、変えたのはだいぶ前だけど、それにはっきりと気づいたのは今日だった。今日ほど自分がバカだと思えた日はなかった。  伝えたいことがたくさん...

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270円

2006年5月23日 22:02

ぼくの煙草が値上がりしました 270円になりました 味も何も変わってないのに 20円も上がりました 嗜好品はいつの間にか値上がりします 何も変わっていなくてもその価値は変わっていきます 時代の流れに値踏みされてその値段が決まります 売れなきゃ中止 製造までもが止められます でもそれは一体誰が決められることなんでしょうか? いくら好きでも失われれば戻りません カネを出しても手に入れることができません よりそれに近いもので補うことしかできません より良いものが出るかもしれません そのときはよりカネを出すかもしれません だけどやめることはできません もし違うものに手をだせば 以前のものはゴミ同然に感じるでしょうか? ゴミとして扱われてしまうでしょうか? そう扱われることすらなくなるのでしょうか?...

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2006年5月16日 01:03

 親は、子供のために。  子供は、自分のために。  子供がおもちゃを選ぶように、親は、そのおもちゃを選んで買ってくる。  選んで買ったおもちゃでも、子供は飽きても新しいものがやって来るまでは、それで遊ぶしかない。  親もきっとそれは同じだろう。  おもちゃを選ぶようには、親も子供も選べない。  ケンカしかしない親なら、いっそ居てくれないほうがいい。  “子供が大きくなるまで、別れる気はない”  逆にそれは、それからの自分を想像できないだけだと思う。  ホントに子供のためと思うなら、そのまま別れたほうがいい。仲の悪い親ほどイヤな親はいない。そんな親はいらない。そんな親なら、親じゃない。三流映画に出てくる三流役者と変わらない。  自分がその“親”っていうやつを演じたいだけなんだよ。しかも、“いい親”っていうほうだ。  泣こうが怒ろうが怒鳴ろうがわめこうが、親どうしの仲がよければ、...

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はいからな口唇

2006年5月 1日 11:33

いつもゆがんだ笑みを見せて いつもゆがんだ景色を見てる アメリカの夢 イギリスの霧 餓えた夢でメシを見る 餓えた瞳でメシを食う 外国が好きだからって それをマネてみたり ホコリまみれのサングラスも 照った陽射しを透かしてる 見知らぬ言葉を眺めることで その口唇がうらやましく見えたりしてる 自分の口唇をひとまわり舐めてみる 味噌とカネの味しかしない 煙草選びも“日本語以外”を手にとって ジッポも買ってオーバーアクション ハリウッドの看板だけを眺めてる 煙草を踏んだ自分の踵は焦げるけれど冷めてゆく 薄くても 厚くても いろんな言葉をしゃべりだす 人の心に探りを入れてかき混ぜて 見透かされた自分の心を隠すように なんでもかんでも飲み込んで なんでもかんでも吐きだして そこにできた はいから模様 そこに見えた はいから模様 小粋なことも言えぬまま はいから模様を眺めてる...

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