“ 家族 ” の検索結果

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  • 10 F/O ぐらいあったよ

2008年5月 7日 00:55

僕は僕であって 僕でしかないんだけれど この僕がいつか いつの日かどこかの誰かが必要としてくれたとき そのときだけでもいい そのためにあればいいなって 冷たい雨に打たれて感じた 僕が雨に濡れてるとき きっと誰かも濡れてるんだ 僕は知らない だけど濡れてる人がいる 僕が恋人を抱きしめてるとき きっとたくさんの人もだれかを抱きしめてる だけどそれを知らない人もいる だれにも抱きしめてもらえず泣いてる人もいる そんな人に僕はなにもしてやれない ただ思う 僕が幸せを感じてるとき そうじゃない人もいるんだって 幸せなこの瞬間に、と、そうじゃない人に 涙が出てくる ただの優越感なのかもしれない そうじゃない人への同情なのかもしれない 下にも上にもキリがない 卑屈になればいくらでも僕は小さくなれる だけど思う 僕がどんな気持ちでいても だれかがどんな気持ちになっても 僕が涙を流すそれはいつ...

カテゴリー :
Poetry
タグ :
いつの日か, いつまでも変わらない, してやれない, できない, なにも, なにもできない, ほんの少し, コーヒー豆, 僕は僕, 友達, , 大人たち, 子供たち, 存在, 家族, 必要, 応援, 恋人, 愛すべき, 打たれて, 挨拶, 政治家, 救われる, 時代, 残す, 残って, 残る, 気づかない, 気持ち, 泣いてる, , 濡れて, , 鼓動

iPodか、Hi-MDか……

2007年1月26日 02:57

 はぁ~……  先日、もうかれこれ長いこと連れ添ってきたHi-MDのウォークメンが壊れた。  なんだろう。  どれぐらいだろう。  計り知れないぐらい、もんのすごいんだけど……  雨の夜、突然飛び出してきた車とぶつかったときよりショックだった。  自転車パクられたときよりショックだった。  いくつもの季節を乗り越え、雨の日も、雪の日も、健やかなる時も、病めるときも、誰にも何にも負けないぞとともに突き進んできた心の友。  しかしながら、パソコンにつなげば、ちゃんと動く。  ACアダプターをつけても、ちゃんと動く。  ただ、バッテリーだけでは動いてくれない。  ウォークメンの意味がない。  もう、ともに歩んじゃくれないのかい?  もう、ともに立ち向かってはくれないのかい?  嗚呼、ランドリー……  嗚呼、この絆は永遠だと僕に安心をくれた心の友よ……  そこでだ。  新たにお見合い...

カテゴリー :
Diary
タグ :
いつか

2006年9月 4日 05:00

 やっぱ家族の絆ってやつに弱いらしい。  どうにもこうにも、こればっかりはダメらしい。  いつまで経っても免疫ができない。  涙腺がゆるみまくってる。  そのくせ、人の死だとか別れには、一切の涙が出てこない。こぼれもしない。浮かびもしない。  そのへんは、免疫の塊のようになってるみたいだ。  離れることには強いんだけど、結ばれることには弱いらしい。  取り戻すとか、手にするために一生懸命がんばるだとか。  どっちが難しいとか、奇跡とかっていうんじゃなくて、結ばれるのも離れていくのも難しい。  損得だとか難しさとかで物事判断しちゃったら、どう考えても大切なものが見えなくなる。  難しいほうに重きを置いてしまったら、人の出逢いなんて葉っぱ1枚より軽そうなもんだ。  たとえば、その葉っぱ1枚が落ちたことで、そこにいた虫はその夜をあったかく迎えられるかもしれない。  う~ん、このたと...

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Essay
タグ :
いつか

復讐

2006年9月 1日 00:38

 終わりなきもの。  金。金。金……  それによって崩壊となっていった家族、親に対するそれでもある。  とりつかれたように働いた親。  僕らのためと言っていた。  でも結局は、自分のために見えた。  夜ごと店を渡り歩き、女の上をハシゴして、その女と落ちていく。果てしなく。  子供の僕には迷惑だった。  そして今、這い上がることすらできない見えない底でもがいている。  おれは金で育った。  金に育てられた。  聖徳太子のように親の言うことを器用に聞きわけ、福沢諭吉のように勉学をすすめた。  稲造さんは誰か知らない。一葉さんも最近知った。  夏目漱石のような『坊ちゃん』に生まれても、野口英世のような才覚はない。  コインのように財布になければ困り、ありすぎれば邪険にされた。  その金を稼いでいたのは親かもしれない。  でもその上に放り出された。  ...

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Essay
タグ :
いつか

戦争

2006年8月10日 02:41

 まるで意味がない。  宗教問題とか、人種問題とかで、いろんなところで、いろんな戦争が起こってる。  まるで目的もない。  もしあったとしても、それが達成されたこともない。  1つのそれがもし達成されたとしても、また別のそれが湧いて出てくる。  キリスト教の歴史とか聖書がどうのこうのとか、人種に関する歴史とか運動とかその背景とか、そういう深い部分については学校の田植え授業で習ったぐらいしか知らないけども、でもそれからなぜ殺し合うことになるのか、まるで理解できない。  お互いに、なぜ批判するの?  認められないのは、どうして?  全部は認められないかもしれないけど、尊重するぐらいはできそうなもんだ。  人間なんだから。  本能だけで生きてるんじゃない。頭で考えて、ワンクッション置いてから、行動に移すことができるはずだ。  単なる表現の問題っていうこともあると思う。 「唯一全能の...

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Essay
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いつか

1人掛け

2006年8月 9日 18:07

交差点も坂道も平らな道も歩き疲れて それでも歩いてフラフラんなって もう立ち上がれないかもなんて感じたら すぐに栄養補給しなくちゃな 単純明快 欲しいものを欲しがってんだ 愛も夢も優しさも たまには補充しなくちゃな 家族や友達 恋人も みんなみんな淋しがって 誰かと一緒にいたいんだよな 特別なんて何もないさ いつも同じもののなかに埋もれて 息が詰まりそうになりながら いつも同じものを求めてんだよ 時にはその肩の力を抜いてみてさ おぼつかない足取りのままでも 支えてくれる誰かが欲しいんだよな 1人用の椅子でも 2人で座らせてくれる人がいいんだよな 窮屈だけど不思議とそんなふうには感じない 2人で同じものを見てられる そんな気がしてくるんだよな 優しんだよな そういうのがさ...

カテゴリー :
Poetry
タグ :
いつか

こども

2006年7月 4日 18:56

 歴史を学ぶ必要は、もうなくなった…  親の世代で規範となっていた人でも、もう今じゃ、ただのヒトなんですよね。  実際。 「お父さんが子供のころとは、もう時代が違うんだよ!?」  って、親に子供が言う。  本当なんだからしょうがないんです。違うんじゃなくて、もう“通用しない”んです。  すると… 「親に向かってなんだその口のきき方は!?」  違うんですよね。  もう自分が育ってきた過去は捨てるべきだと思います。  「俺が子供だったころは…」って、これが口グセになっちゃってるお父さん、それはもう今の子供には通用しないんです。「また始まったよ」ぐらいにしか聞いてないはず。  もうどうしょもない親になってくると、これしか言わない。 「だれのおかげでそこまで大きくなれたと思ってんだ!?」  子供はこうひと言吐き捨ててやればいい。 「カネ」  すると、きっとこう返ってくる。 「じゃあ、...

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Essay
タグ :
いつか

My Bible, #C

2006年5月29日 02:27

 すべては自分のなかにある。  花がある。  キレイな花が咲いている。  キレイに花が咲いている。  そう、そこには花が咲いている。  子供と目が合う。  そのお母さんとも目が合った。  そのお父さんとも目が合った。  そう、そこには1つの家族がある。  小さなネズミが走っていく。  口には小さなパンのかけらをくわえてる。  小さなネズミが走っていく。  そう、そこにはもっと小さなネズミがいる。  胸の前で強く両手を組む。  今は閉じた目のむこう側に像がある。  きっと隣にも同じ姿勢の人がいる。  そう、そこには人がいる。  命がある。  絆がある。  愛がある。  光がある。  目に見えるものと、見えないもの。  花は見えても、命は見えない。  家族は見えても、絆は見えない。  ネズミは見えても、愛は見えない。  像は見えても、光は見えない。  自分のなかには、なにがある?...

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Essay
タグ :
いつか
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