“ 理解 ” の検索結果

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Re: Message

2007年5月17日 01:27

 いやはや、いつもいつも書いたら書きっぱなしなもんで……たまに見ても、そんとき書いたのがどう表示されてるのかのチェックしかしとらんぜ。  せっかくくれてたメッセージも、毎日まいにち寄せられるエロいコメントやトラックバックのなかに埋もれちまってたようだ。  というより、エロいのしかこないだろうぐらいにしか思ってなかったのであります。  で、とりあえず一番最近のUさんの分までは、なんとかエロいコメントをがんばって削除してたんだけども、さすがにもう面倒くせぇのでやめた。キリがねぇ。  やった次の日にはまた新しいのがついてんだもの。  だがしかし……  この事態を痛感させられて、初めて“禁止ワードの設定”っつー機能を知ったわけで、その利用に踏み切ったわけだ。  たぶんもうそんなにはこないはず。  んなわけで、今さらながら書いてくれたメッセージに一括返信したいと思う!!  古い順。 W...

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優しい風

2007年4月16日 09:16

きっと僕ら 真正面からぶつかりすぎてしまってたんだね 君の痛みも僕の痛みもそっちのけで そうすることでしかわかり合えないなんて思ってたのかな 時には疲れ果ててしまうほど ただ気持ちのままに向き合っていた それはきっとなにかを奪い合っていた 自由より気持ちよりもっともっと大切な 気持ちをぶつける言葉よりももっともっと いつも君は僕のことを聞きたがった そして僕は君のことを知りたがった 君を思えば思うほど 僕自身が消えていった ふとした瞬間、孤独なはずが いつも君はそこにいた 君がいる安心感から 自分自身と向き合うことを忘れてしまっていた 君もホントはすごく傷ついたんだろ 知らず知らず自分の痛みを君にぶつけてしまってた 感じたことをうまく声にできないままに 「わかってほしい」とは違う言葉で 僕もきっと同じ気持ちだなんて 君は欲しいものを期待するんだ 僕のなかに君を見ていて そやっ...

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親友という存在の距離

2007年3月23日 01:54

 とはいえ、“友達”ってやつのとらえ方だって、人によっていろいろなんだろうなとも思ってる。  なんでも気兼ねなく話せて、なんら気を遣わなくてもいい相手。  いつもそばにいてくれる人。  笑い合える仲間。  つらいことも笑い飛ばせてしまえそうな関係。  最近思ったのさ。  ひと口に“親友”って言ったって、そんなもんは自分のなかのとらえ方1つがすべてじゃんて。  でも、みんながみんなそうじゃない。  それもまた自分のなかのある基準のもとに、そういう抽斗にしまってんのかなと。  そうじゃなきゃ、そう呼べる人と、そうじゃない人との違いがない。  じゃあ、そのときの気分次第で友達の区別もなくなるのかって言ったら、そうでもない。  もともと友達に区別なんてしてないって言ってしまえば、それはそれでカッコいいだろうと思う。  でもやっぱり、人間だからな。したくないことでも、やっぱし差別化はし...

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そして、Vistaに落胆。

2007年2月 3日 14:15

 というか、ショック!!  叫んじまった。  メチャメチャはしゃいでイジってたら、早速問題発生。  なぁ~んかおかしいなぁ~と思ってたら、なんとオーディオ・インターフェイス認識してないじゃない!!  ソフトどうのこうのより、わたしとしては、これが一番致命的。  とりあえず音は出るさ。  しかし、ヘタレなほうのスピーカーしか鳴かないわけだ。  メインが動かないって、どうしょもない。  さすがにこの耳でも「あ、ショボ」ってわかるぐらい音の差がある。  迫力は違うわ、重みは違うわ、スッカスカだわ、ちょっとしたものの視聴とかにしか使わないってんでつけてみたけど、どうなのよってぐらい音が痛い。  たぶん、悪い音には敏感に反応する耳なんだな、きっと。  ちなみに、使ってるのはベスト・チョイスとススメてもらったコレ!!  FA-66(EDIROL)  ほかのUSBのやつは対応したドライバが...

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コトバ

2006年8月25日 00:48

 最近、「カタカナ」ってやつが流行ってるらしい。  聞いたことない言葉でも、漢字で書かれてると、その字を知ってれば、なんとなくその意味も理解できたような気がする。そして、あとから本当の意味を知っても、それに近いことが多い。  でもカタカナだと、どうもスムーズに入ってこない。  たしかにインパクトはある。  でも、理解できない。  でも、だからこそインパクトがあるのかもしれない。 「コトバ」  だから?  なにも伝わらない。  もしそんな題名のモノがあれば、きっと“あれ? なんだコレ? ちょっと気になるかも? 見てみっか…なぁ~”ってなるかもしれないけど、それを開いて読んだら、きっと呼んで終わりになる。 <へぇ~、“コトバ”かぁ~…“コイビト”でもいいじゃん>  カタカナ表記の言葉や文章を読んだら、それをそのまま受け取るだけで、それについて考えたり悩んだりもせず、もしかしたら返...

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戦争

2006年8月10日 02:41

 まるで意味がない。  宗教問題とか、人種問題とかで、いろんなところで、いろんな戦争が起こってる。  まるで目的もない。  もしあったとしても、それが達成されたこともない。  1つのそれがもし達成されたとしても、また別のそれが湧いて出てくる。  キリスト教の歴史とか聖書がどうのこうのとか、人種に関する歴史とか運動とかその背景とか、そういう深い部分については学校の田植え授業で習ったぐらいしか知らないけども、でもそれからなぜ殺し合うことになるのか、まるで理解できない。  お互いに、なぜ批判するの?  認められないのは、どうして?  全部は認められないかもしれないけど、尊重するぐらいはできそうなもんだ。  人間なんだから。  本能だけで生きてるんじゃない。頭で考えて、ワンクッション置いてから、行動に移すことができるはずだ。  単なる表現の問題っていうこともあると思う。 「唯一全能の...

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集大成

2006年7月 5日 19:58

 理由はいらない。  結果はあとからついてくる。  理由はあとからいくらでもつけられる。しかも、自分が都合がいいように。  結果はある程度なら先に予想できる。  だから、人間の感情に限度はない。  想像力には壁もない。枠もない。  ぼくをカゴのなかの鳥というなら、あなたは、それを指で突きまわす部屋のなかのヒト。  飛べる鳥をカゴのなかに閉じこめて、自分の背中に羽根をもらう。  そんな気でいる。そんな気になる。  意味不明のさえずりに、理解できない鳥の声に、理解した気でエサと水を入れてあげるヒトの微笑み。  自分の夢を、手中の鳥に映してみても、鳥をたくさん集めてみても、叶う夢は鳥の名前を自分の夢にすることぐらい。  空を飛んだ人の次は、どこまで高く飛べるかだった。  より高く、より高く。  そしたら今度は、どこへ飛ぶかに変わっていった。  サルを宇宙へ飛ばしてみた。  行き着く...

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こども

2006年7月 4日 18:56

 歴史を学ぶ必要は、もうなくなった…  親の世代で規範となっていた人でも、もう今じゃ、ただのヒトなんですよね。  実際。 「お父さんが子供のころとは、もう時代が違うんだよ!?」  って、親に子供が言う。  本当なんだからしょうがないんです。違うんじゃなくて、もう“通用しない”んです。  すると… 「親に向かってなんだその口のきき方は!?」  違うんですよね。  もう自分が育ってきた過去は捨てるべきだと思います。  「俺が子供だったころは…」って、これが口グセになっちゃってるお父さん、それはもう今の子供には通用しないんです。「また始まったよ」ぐらいにしか聞いてないはず。  もうどうしょもない親になってくると、これしか言わない。 「だれのおかげでそこまで大きくなれたと思ってんだ!?」  子供はこうひと言吐き捨ててやればいい。 「カネ」  すると、きっとこう返ってくる。 「じゃあ、...

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